かっこわるい自分も曝け出せる勇気を

要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51

ぐうの音も出ない。全く私のことじゃないですか…
この方、絵を描いてらっしゃいますね。
私も、絵を描いていました。短大ですけどそれ系の学校に行ってました。
でも絵を描くプロにはなれませんでした。

自分で言うのもなんですが結構、絵には自信あったんです。
ただ、いつの頃からか絵を「出し惜しみ」するようになって、その辺りからちょっと成長が鈍ったような気がします。プロになれなかった理由もそれかと。


自分より絵のうまい人がいる。並べられたくない。
提出する絵が出来た。先生に意見を聞かなければ…変な所指摘されるかも。出したくない…


こんなことがよくありました。
以上の行為は、「絵が下手でかっこわるい自分を人に見られたくない」所から来る物でした。
プライドを突き崩されたくなくて守りに入っちゃったんだと思います。
これは重大な間違いでした。
人に見て貰わねば、どんな表現も意味が無いのです。第三者がいなければ上手いも下手もないのです。

この点で言えば、まだ、学生時代から書き続けていた「文章」の方が研鑽されてマシな方になっているかと思います。
文章でもたくさん失敗したし迷惑かけたし、今思い返しても恥ずかしい事がいっぱいあります。でも、人に読んでもらって意見をもらったり、人に見せる文章ということで気をつける事で随分成長したと思います。

だから私は、今勉強中のプログラムのコードも出し惜しみせず曝け出すことにしました。
幸いにも、絵のときのような気負いが全くありません。
算数や計算は苦手だったし、真っ白な状態で始められます。
絵には正解、不正解はありません。
でもプログラムは一応、動けばそれが「正解」です。
これが私に勇気を与えてくれます。
美しいコードやセキュリティなど、上を目指せばきりがないのは絵と同じですが、エラー無く動作すればそれはコンピュータ的に「正解」なのです

今のコードも、プロから見れば駄目なものはわかってます。スマートじゃない事も。
そんなかっこ悪い姿を曝け出す、勇気を持って勉強したいと思います。