好きなモノに助けられてきた

元非コミュがマジコンの記事を読んで思ったこと

私も小学生のときは親が厳しくてゲーム機いっさい買ってもらえなかった。
でもマジコンとかにはきっと手を出さなかったと思うし、今後も出すつもりもない。

だからといって小学生の時、特に孤立感を覚えていたかと思うとそうでもない。
ゲーム(マリオ)が好きで、でも家では出来ないから絵を描いて満足してた。
いわゆる代償行為というやつだろうか。


ある時図工の授業でちょっとマリオ描いてみたら地味な私がクラスの人気者になって描いてかいてとチヤホヤされたのは…気持ちよかったなあ。任天堂さん感謝してます
勉強出来ないけど運動得意な子が体育祭で注目を浴びるように、図画工作の時間では比較的輝けていました。
中学、高校すぎて現役ゲーマーやオタクの人って、小学校はゲームやアニメ制限されてたって人が多いと思うのですがいかがでしょう。あの頃渇望していたモノが、目の前にある!それがずっと続いている。幸せなのか不幸なのかよくわかりませんがw


漫画も中学まで「学習と科学」の学習漫画しか読んだ事なかったなあ。そっちはもともと興味なかったけど。
ゲーム制限されて親を恨むか?と聞かれても「親の気持ちもわかる」としかいいようがない。でも制限されてなかったら間違いなくゲームにもっと熱中してバカになってた事は安易に予想がつきます。

じゃあたとえばの話ね。寓話として聞いて。Share使ってロム落とせることで友人関係築いてるやつがいたら、お前ら誰になんて説教する? 「本当の友達はそんなことで」とか言うの?w 友達のできかたに貴賤があってたまるか。


「Share使ってロム落とせることで友人関係築いてる」て時点で本物の友達じゃないんじゃないか。
それって絶対ただの「便利屋」としか見られてないと思う。求められているのは自分じゃなくて盗んだ品の方なのに空しくならないのかな。

小学校とか中学校とかってぶっちゃけ教室の中が全世界だぜ? 逃げ場なんてねーよ。昔は「地域社会」とか「おとなりさん」が機能してたって教科書で習ったり年配者から聞いたりするけど、いま実感としてないからね。それに広い世界とか知ったところで金もツテもないから外に出られないんだよ。事実上は教室内の価値観とか人間関係が全てで、たとえば携帯電話持ってないぐらいでハブらざるを得なくなったりするんだよ。「だって連絡取れなかったら遊べないでしょ?」って。

まさに学校は一つの「社会」なんだよな。私は家にゲームがなかったし、クラスには子供にテレビ見せない家庭の子とかもいた。
色んな子がいた。現実社会はもっと状況は様々で、「持ってる人」と「持ってない人」がいる。
「持ってない人」は確かにハンデがあるけど、それはそれと割り切って「持ってる人」以上に努力しなければ…っていうのは厳しいんでしょうか。学校の「不平等」なんて社会の「不平等」と比べると遥かに小さくて乗り越えやすそうだけどな。
「持ってない人」は「持ってる人」より色んな経験ができるから面白いとも思う。


偉そうに言ってきたけど、別に私が特別強かったとか、努力したとかでなくて、
好きな物があったから。それを打ち込んで媒体にすることで周囲との関係が築けた。
孤立してる人は、まず「好きなもの」見つけて極めればいいんじゃないかな。他人のウケとかはとりあえず考えずに。それがいつか人に認められるかもしれない。

私は好きなものに助けられてきました。